7月15日は、「海の日」

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函館市のマンホール(五稜郭をかたどっています)

 ここしばらくは、蝦夷梅雨」でしょうか・・函館は寒い日ばかりが続きます。


 折角、函館山の夜景や観光地巡りを楽しみに訪れた観光客の皆さんには、心から「本当に気の毒です」としか言いようがありません。
 観光する際には、傘を持って、温かくして観光してくださいね。

 

 さて、以前のブログにも書きましたが、「海の日」は、函館が関係する国民の祝日です。
 参考ブログ : https://hakodate1859.hatenadiary.jp/entry/2019/05/03/174133

 

 函館は、昔から歴史的に「海と馴染みの深い土地柄」でしたが、年とともに、その「海と市民との親密さが薄らいできている」ようにも感じます。


 一昔前のことになりますが、函館は北海道での北洋漁業の基地ではなくなり、造船所の函館ドックも衰退しました。


 そして、その時代の頃には、威勢のいい、活気に満ち溢れていた函館湾の「岸壁」ですが、いまでは落ち着いた「風景の一部」となっています。

 

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「緑の島」から旧箱館税関跡の岸壁

 巴の形をした函館湾は、日本海と太平洋を結ぶ「津軽海峡」の、北側のほぼ中央に位置します。


 今回は、その函館の「微妙な位置」について、「海運」や「海の日」と関連させて述べますね

 

 まず、我が国の蝦夷への「海運」ですが、明治時代頃までは、皆さんが良くご存知の北前船」という船によって、北方「蝦夷」と「中央」の交易が行われていました。


 これは、日本海を北上、南下する航路で、帆船で京都や大阪の高級品を北へ運び、一方では、蝦夷のアワビ、昆布、魚を京都や大阪まで運んだりしたものでした。


 では、当時の「北前船」は、なぜ太平洋ではなく、日本海を使ったのでしょう。


 それは、太平洋と比べ、日本海の「海象」が安定していることによります。

 日本海側は、さらに海岸線も太平洋側に比べ、わりと優しく、天然の良港も多かったのも、その理由です。


 このため、実際に太平洋側の航路が利用されるようになったのは、江戸も後期になってからで、蒸気船が普及してからになります。

 蒸気船は、推進力もあり、航法能力も高かったため、波が荒い太平洋も問題なく航行できたためです。


 それと、太平洋は、今頃の時期、海上航行上、非常に大きな気象的な問題が起こります。
 それが、現在、観光客の方を悩ませている「蝦夷梅雨」とも関連する「海霧」です。
 この海霧は、北からの冷たい海流に乗ってきて、海のみならず、陸地にも押し寄せます。


 その海霧が、海上でこちら側に進んでくるときは、まるで「高さ数10mの白い真綿の壁」が押し寄せてくるような、そんな錯覚に陥ります。
 そして、船が「ずぼっ」と海霧に入ってしまうと・・途端に数十メートル先が見えるのがやっとです。


 このため、海霧は、船で航行している人には座礁「衝突」につながる大変な危険なものでした。
 現に、津軽海峡青森県下北半島先端の尻屋岬辺りには、昔、海難に遭った船も沈んでいるくらいです。

 

 しかし、一方で、この時期の海霧は、太平洋側だけの現象なので・・例えば、函館山に登ってみると、函館山の東側(太平洋側)だけ雲が多く曇っているのに、西側(日本海側)は雲が無く晴れているという、不思議な景色にもなってしまいます。


 今頃の、函館山は、ちょうどこの状況を体験できます。

 

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晴れている日本海側(函館山から)

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曇りがちの太平洋側(函館山から)


 ただ、眺望は(半分しか見えないので)悪くなってしまう。(この体験を、「奇特な体験」と思っていただければ、ありがたいなと思いつつ説明しています。)

 

 したがって、「海の日」の元となった、明治天皇が函館から横浜まで海路太平洋側を移動されたのは、正に艦船の航行能力と航法技術の高度化が、この時期の太平洋側の航行を可能にした・・と証明する快挙だったのです。

 

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函館湾中にある「緑の島」(GLEYのコンサートが行われました)

 

「函館の七夕」と「函館マラソン」

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函館山からの景色

 今日は「函館マラソン」の日でしたね~。


 走られた方は、塩気一杯の函館の空気を楽しみましたか?

 肌寒い曇り空の中、本当にお疲れさまでした。

 

 ここのところ、函館は「蝦夷梅雨」のような天候不順で寒い日が続いています。

 そして、今日はこれから「七夕」です。

 

 『竹に短冊七夕まつり、大いに祝おう、ろうそく一本頂戴な~♪』で始まる、函館独特の七夕まつりが始まります。

 これは、本当に函館ならではの行事です。

 

 この函館の七夕は、住宅街で「七夕の竹」を飾っている家に子供たちが行って、玄関先でこの歌を歌い、お菓子をもらうという伝統風俗です。

 ただ、今日は寒いので、七夕らしい浴衣姿で回る子供たちがいるかな・・。

 

 昔は、本当に「ろうそく」をもらって歩いたのですが、今はお菓子です。

 ですので、これは何となく欧米のハロウィーンと通づるものがありますね。

 私も昔、「ろうそく」をたくさんもらって歩きましたが・・「これ、どうするんだろう?」と子供心に不思議に思っていたのを覚えています。

 

 その意味で、お菓子をもらうのは「Good Idea」だと思います!

 子供たちも、「ろうそく」と違い回りがいがありますよね。

 

 さて、「函館マラソン」を走り終わり、これから打上げという方も多いと思います。

 確かに、函館駅前には、随分居酒屋が多いですね。

 ただ、押しなべて観光客相手なので、メニューの相場は「割高」です。

 

 「函館の七夕」と「安くておいしい居酒屋」を楽しみたいなら、五稜郭方面がお奨めかもしれません。

 お店に行く前に、インターネットで「食べログ」などを調べてから行けば、間違いありません。

 あのグルメに関する口コミなどは結構当たっていますので、参考にするといいと思います。評判の悪いところは、それなりにちゃんと悪い評価を受けています。

 

 それと大門(駅前付近)に最近、「大門横丁」なるものができました。

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大門横丁 入り口

 全体には、様々な「バル」のような「屋台風」のような規模のお店が20軒近くひしめいています。

 「梯子飲み」の好きな方や、別に函館の水産物にこだわらない方などにはお薦めです。

 歩いて見るだけでも結構楽しめますよ。

 ただ、各店舗とも数人から10人くらいまでしか入れませんので、ご注意くださいね。

 

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大門横丁の地図

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大門横丁入り口

 函館の飲食店は、最近、海外からの観光客の方も多いので、残念ながらメニュー自体の値段(相場)が上がっています。

 ただ、味は変わらず・・若しくは残念ながら下がっています。

 

 個人的には、函館の定番メニューは「安くて、美味い」が基本だと考えていますので、リピーターの方は自分の目で見て「割高な店だな」と直感的に思ったら、やめた方が無難です。

 特に、「高くて不味い」店も中にはありますので、用心してくださいね。

 ちなみに、無責任ですが・・まだ、大門横丁の店は未経験です!ごめんなさい。

 

 これからの函館の天気も不安定なようで、残念です。

 梅雨前線の影響や太平洋の「海霧」の影響があるので、気温も上がりません。

 あともう少しの、辛抱です。

 

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緑の島からのヨットや函館山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

函館の「孤独」を観光する

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函館 市民の森公園の水芭蕉

 

 何か唐突かつ抽象的なテーマで、驚かれた方もいるかと思います。


 今回は、「リピーターための函館観光」でありながら、実際、直接観光とは結び付かないことも書いてしまうかもしれませんが、ご容赦くださいね。


 函館という街の歴史やその魅力に関しては、今まで随分と書いてきました。
 江戸時代の箱館から、開港を経ての幕末、明治時代そして現在まで・・。

 

 そして、観光リピーターの方の中にも、何度か函館に来てみて、観光ガイドには記述がない、様々な魅力に気付かれた方も多くいると思います。

 

 その中で・・
 「あれ・・この街は、何だろう・・何かがちょっと違う」と。
 確かに、函館は、他の北海道の街とは何かしら違いますね。
 それはなぜでしょう。
 それが、今回のテーマ、函館の「孤独」を観光する・・に続きます。

 

 実際、私も、過去、北海道の他地域の友人から・・
 「函館ぇ~、・・あそこは北海道じゃない。あそこは、北東北の一部だべ」

 そんな声を何度か耳にしたことがあります。


 そして、これは実際、今回の『キーワード』・・函館の「孤独」とも関連します。
 実は、函館や松前江差など道南の街と、内陸部の札幌や旭川などとは、明確に違う点があるんです。


 それは、簡単に言えば「函館や道南の街は、入植地ではない」ということです。
 入植地とは、明治時代、屯田兵が開拓したり、本州のある地域から集団で移住し、開墾し、住み着いたりした土地のことを言います。
 道南以外の北海道は、だいたいがそういう場所で、地域の名称も、元々の出身地にちなんだものをつけている市町村も、実際にあります。

 

 その点、函館は事情が異なります。
 函館は、江戸時代の箱館から、歴史を背景に、勝手に発展した街です。

 したがって、明治政府が力を入れて開墾した地域とは、明らかに雰囲気が違うのです。


 このため、北の大地で自然と戦う住民としての連帯感も、函館は北海道の他地域と比べ、比較的希薄です。
 ですから、総じて「函館は北海道らしくない」といえば、そうなのです。
 そこが・・北海道で、何となく孤立したような函館の雰囲気にも繋がっています。
 他の地域とは共通点のない存在・・一言でいえば、函館の街自体が、「孤独」なのです。


 今の函館は、少し観光地や繁華街を外れた場所では、途端にさびれ、すたれています。・・はっきり言えば、うらぶれています。


 さらに、日中、函館の街角で見かける老人達は、比較的、単独の老人が多い気がします。そして、本州の都市部とは違い、洒落たご老人もおらず、そして、二人、三人と連れ立って歩くご婦人の姿も、ほとんど見当たりません。


 これも函館の特徴です。
 昔の函館の栄華を知るお年寄りなどは、「孤高」という言葉そのままに、今も生きているのかもしれませんね。

 

 石川啄木が詠った、「東海の 小島の磯の白砂に 我泣きぬれて蟹とたわむる」


 これも、孤独と背中合わせの歌です。


 その歌を詠んだといわれる大森浜から、函館山を見てください。

 その函館山も「孤独」だと思いませんか。

 

 その港町特有の、赤錆の浮いたような寂しさ、孤独感も、次の観光で味わってみては如何でしょうか。

 これが今回、お伝えしたかったことです。
 函館の、時間の流れが澱んだ感じも、是非楽しんでみてください。

 

 函館山に登ったついでに、ちょっと足を延ばして、旧函館山砲台跡から「孤独」に浸って津軽海峡を見る。


 立待岬から青森県下北半島を見て、当時の人たちの望郷の念とも通ずる「孤独」感を感ずる。


 外人墓地に行って、生まれ育った祖国の地を踏むことなく、異国の地で命を落とした人達の「孤独」に思いをはせる。

 

 函館とは、何かしらそのような「形の違う孤独」に支えられ、発展してきた街で、それを今の函館も背負い続けている・・、函館はそんな街のような気がします。

 

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函館 裏ベイエリアのレンガ倉庫

 

函館の「和洋折衷」な建築とお祭り

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函館の夜景(はこぶら)

 さて、その前に今頃の函館の話題です。


 実は、6月からは函館の名物である「イカ」漁が解禁されています。
 函館山からの夜景に花を添える、あの津軽海峡のたくさんの煌めく「漁火」の元となる、「イカ釣り船」の出番がやってきました。


 ただ、「イカ」は、函館市の「市の魚」にも指定されているのですが・・ここ数年は残念なことに、スルメイカの漁獲量は極端に少なくなっています。


 このため、函館の回転ずしを含むお寿司屋さんでは、最近の寿司ネタのイカは、「スルメイカ」だけではなくて、「ヤリイカ」が多くなってきました。

 

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スルメイカ

 昔の「函館のイカ」、と言えば「スルメイカ」が当たり前でした。
 そして、スルメイカの、その透き通った厚い肉を噛むと、中からにじみ出る美味しい甘みは、「握り寿司」にしても「イカ刺」にしても最高の味で、ほっぺたが落ちそうでした。
 もちろんその頃は、寿司1皿の値段も100円~150円くらいで、絶品のイカを飽きるほど食べることができたものです。
 しかし、今ではスルメイカの不漁に伴って値段も高騰し、残念ながら1皿なんと!200円~400円もします。


 今年こそは、是非、イカの豊漁を期待したい・・そして、美味くて安いイカを食べたい・・これは函館市民の願いだとも思います。


 ひと昔前のイカが豊漁だった時代、函館の夏の朝の風物詩・・自転車の荷台に「朝イカ」を載せ、イカを売りに来るおばさんの威勢のいい声!

 「イガ~、イガ、イガァ~!!」は、今となっては函館の無形文化遺産のような、そんな気もします。

 

 

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函館の「和洋折衷」住宅

 さて、ここから本題の、函館の「和洋折衷」の話をします。


 函館市の西部地区の歴史的建造物ともいうべき「洋館」や「洋風建築」は、なかなか見ごたえもあり、見る人を「タイムスリップ」させてくれますね。
「旧函館区公会堂」「旧イギリス領事館」「旧ロシア領事館」、そして多くの教会など、その数は東北・北海道でも類を見ない多さを誇っています。


 さらに、それに輪をかけて多いのが、函館独特の魅力でもある旧民家や旧商家の「和洋折衷」建築です。そして、その建築様式も一様でなく、様々な形があるので、見る人の目を楽しませてくれます。

 

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「和洋折衷」住宅の並び

 その中でも多いのが、1階が「和風」で2階が「洋風」の建築様式です。


 市内観光では、ついつい目線の高さで観光してしまいますが、函館の西部地区を観光する際は、是非、「建物の上下」も見てください。必ず新しい発見があるはずです。


 「おや?」「何だろう、この不思議な建築は・・?」と思うこと請け合いです。この「和洋折衷」建築は、街中に普通にあるので、それらを探して楽しむのも、函館西部地区観光の「醍醐味」でもあります。

 

 では、次に函館の「和洋折衷」のお祭りを紹介します。

 

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湯倉神社(はこぶら)

 それは、湯の川にある「湯倉神社」の大祭です。

 そして、今年は6月22日に大祭「湯倉の杜」が開催されます。


 それの何が「和洋折衷」かというと・・。

 昼間の第1部は、主に子供たちを対象とした、様々なイベントがありますが、やはり見どころは「夜」の第2部です。


 夕方からの第2部では、神社の階段などを使った「キャンドルナイト」や「キャンドルアート」があります。


 キリスト教会のようなキャンドルの優しい光に包まれながら楽しむこともできますし、加えて、神社らしい「浦安の舞(巫女神楽)」もあり、不思議な感覚に陥ります。


 まさに、この「湯倉の杜」は、函館らしい「和洋折衷」のお祭りです。
 ちなみに、入場料は無料で、湯の川温泉から歩いても近いので、是非訪れてみて下さい。


 これからの函館は、どんどん気候が良くなりますよ!お楽しみに!

 

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「湯倉の杜」ポスター(令和元年)

 

函館の湯川方面で、ちょっとした散策・・そして、函館の名士

 今回は、まず、最初に湯川温泉街近くの和菓子屋さんの情報です。


 市電「湯の川温泉」から、終点の「湯の川」に向かい100mくらいの右手に「銀月」というお餅屋さん(和菓子屋)があります。

 

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湯川 銀月(函館市 はこぶら)

 ネットでは「やきだんご 銀月」で出ているようですが、団子専門店ではありません。

 もちろん、函館でも「銀月の団子」として有名ですが、私は北海道特有の「べこもち」も美味しいと思います。

 車で来店の場合でも、店舗に向かって左側に店の駐車場があるので大変便利です。


 湯川のホテルに帰ってから、ちょっとだけ、数分散策して美味しい「焼き団子」「べこもち」を楽しむのも、軽い運動になってお薦めです。

 

 函館観光に来る方は、港町特有の「融合した文化」を楽しむ方が多いと思います。
 観光では、明治時代や大正時代に建てられた「洋館」や「和洋折衷」の施設、商店、民家など不思議な文化に接すると思います。


 そんな中、リピーターの方へは、湯川方面からちょっとレンタカーで足を延ばし、和洋折衷の庭園「見晴公園」は如何でしょう。ここへはバスでも行けますが、運行本数が少ないので、レンタカーがやはりお薦めです。


 この「見晴公園」は多くの函館市民の間では、「香雪園」という名で親しまれています。

 

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まさに雪の「香雪園


 この名称は,大正時代に来函した京都の浄土宗知恩院貫主さんが「雪の中に梅香る園」ということで名付けられたらしいですが、さすがに趣があるというか、なかなか素敵な名前を命名するものです。


 この公園ですが、元々は函館の資産家岩船氏の別荘地でしたが、彼は商売繁盛の恩返しのため、公衆トイレや芝生広場などを整備し、昭和2年から市民に無料開放したのが、そもそもの起源となります。


 昭和30年には、市と岩船家の間で無償賃借契約を締結し、隣接するゴルフ場を含め「見晴公園」となり、4年後には市が岩船氏所有の土地を買収し、その後、都市計画変更を経て、函館市最大の総合公園となりました。

 

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秋の香雪園函館市 はこぶら)

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冬の香雪園函館市 はこぶら)

 園内には、茶室風の園亭、渓流や煉瓦造の温室など多様な意匠からなる庭園空間が広がっており、さらに平成13年には文化財保護法に基づく「名勝」の指定を受け、「旧岩船氏庭園(香雪園)」の名で北海道唯一の国指定文化財庭園となっています。


 「香雪園」は、落ち着いた閑静な公園で、函館の四季を楽しめる、観光客もあまり訪れない「穴場」です。そして、運が良ければ、「エゾリス」に会えることもあります。

 

 さて、実はこの岩船氏のような粋な資産家である「名士」が函館には、他にもいました。
 古くは、箱館蝦夷地の発展に寄与し、水飢饉の時には箱館住民に自宅の井戸を解放した、あの有名な高田屋嘉兵衛」氏もいます。

 

 そして、明治に入ると、函館観光客が必ず訪れる「元町公園」で、ひときわ威容を放つ「旧函館区公会堂」(残念ながら、現在は休館中)も、当時の資産家の「相馬哲平」氏が、そのほとんどの建設費を私費で負担したと言われています。


 昔の函館(箱館)には、現代の我々には想像もできない、広量な名士が随分いたようです。

 それだけ、当時の函館(箱館)は、とんでもなく潤っていたということの証でもありますね。現在では想像もできませんが・・。

 

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旧函館区公会堂は、残念ながら、現在工事中

 

今頃の函館の気候と朝のライラック散策


 函館観光での、皆さんの楽しみにしているお昼のグルメは・・「ラッキーピエロ」「お寿司屋さん」「ラーメン」「海鮮丼」など、随分色々ありますね。
 でも、その観光の前に、ちょっと朝方・・早起きして、函館市内の西部地区を歩いてみては如何でしょう?


 他の観光客の方も少ない時間帯なので・・もちろん、足に自信のある方は軽いジョギングでも良いと思います。
 ただ、今時分の函館は、若干肌寒い日もありますので、一枚多く着るつもりで・・ちゃんと着込んでから行きましょう!

 

 ちなみに、この5月頃の寒さを北海道では「リラ冷え」と言います。この「リラ」とはフランス語のライラックのことで、ちょうどライラックの花が咲く時期に寒くなることを、道産子は「リラ冷え」と言っています。

 

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ライラックの花

 しかし、この「リラ冷え」という言葉ですが、何故、北海道では有名なライラックにちなんだ、分かりやすいライラック冷え」ではなく、「リラ冷え」なのでしょう。


 それは、作家の渡辺淳一氏の小説「リラ冷えの街」などの、文芸作品などの「リラ冷え」表現の影響が少なからずあるようです。

 そして、響きも、そのほうがちょっとロマンチックな感じがしますね。


 函館にも、この時期の「ライラック」を見られる場所が、実は函館元町公園付近にあります。

 

 それで、今頃の朝観光のコースですが・・気持ちは江戸時代前から明治時代頃に『バック・トゥー・ザ・パスト』して、ついでにライラック散策もしてみましょう。

 

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北海道第1歩の地碑(函館市 はこぶら)


 スタートは、箱館旧桟橋」の場所である「北海道第一歩の地碑」。

 この付近が、江戸時代から明治時代までの箱館の唯一の上陸地点です。
 「北海道第一歩の地碑」は、函館市電末広町」電停から海岸へ向かった場所にあります。


 そして、その地碑から道沿いに西へ進み、海上自衛隊を少し過ぎた辺りに「新島襄 海外渡航の地碑」があります。

 京都の同志社大学創始者である新島襄は、江戸時代に、ここから米国船舶に乗り込んで米国へ密航し、自らの志を貫きました。

 

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新島襄海外渡航の地碑 (函館市 はこぶら)

 では、そこから来た道を少し戻って、海上自衛隊の所まで。


 このグリーンベルトの中央に立つのが明治天皇御上陸記念碑」です。

 蝦夷地が江戸幕府直轄となり、その後の箱館戦争の後、明治政府は北海道開拓に力を注ぎます。その北海道を視察するため、天皇陛下が「行幸」された記念碑がここです。

 

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明治天皇御上陸記念碑 (函館市 はこぶら)

 では、そこから元町公園を目指し、電車道路を横切って「基坂」を上ります。
 すると、元町公園の手前右手側に「宇須岸河野館跡」があります。


 ここは15世紀頃に建設された「宇須岸河野館」(約100m四方)の跡ですが、16世紀に現地のアイヌとの抗争で敗れ、次にこの場所が活用されるのは18世紀に入ってからで、江戸時代の「亀田番所」になります。
 そして、坂を少し上って公園に入ると「箱館奉行所」跡があり、ここは、その後「北海道庁函館支庁」となります。

 

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基坂上の函館元町公園 (函館市

 この付近一帯は、明治時代までは、正に函館のみならず、北海道の行政の中心だった場所です。


 当時の、「基坂」の上から見える風景はどんな様子だったのでしょうか。

 元町公園の付近を散策し、朝日に生えるライラックの花を楽しみながら、ちょっとだけ想像してみるのも楽しいかもしれません。


 そして、帰りは元町公園の山側の道(旧函館公会堂の前の道)から東に向かって進み、古い建築物の「遺愛幼稚園」「カトリック本町教会」などの教会群を探訪して「八幡坂」を下りてくると、出発地から1本東寄りの岸壁に戻ります。 

 

 これからの北海道は、ずっと素晴らしい季節が続く・・はずですが、実は5月下旬から6月頃まで蝦夷梅雨」と呼ばれる現象が起こることがたまにあります。
 これはオホーツク低気圧の影響で、太平洋側では「海霧」が多く発生する時期と重なります。


 こうなると、どんより曇って、函館山は見えなくなりますし、津軽海峡の景色も下北半島が見えるどころか、「鈍色(にびいろ)」一色のつまらない景色になってしまいます。
 蝦夷梅雨」は、起きない年も多いのですが、起きてしまうと2週間程度続くこともありますので、その頃に観光に来た方には本当に残念です。


 是非、天候に恵まれることをお祈りしつつ、今回はこれでおしまいです。

 

函館に関係する国民の祝日

 我が国の元号も、平成から令和になったばかりで、令和天皇陛下に関連する話題が多い毎日ですね。誠におめでとうございます!
 それにちょっとあやかって、今回は、天皇陛下や皇太子殿下と函館市に関係する内容です。
 そして、これは国民の祝日にも関係する話題でもあります。


 時代は、百数十年前のお話になりますが、過去、函館にも明治天皇陛下や大正天皇が皇太子殿下の時に訪問されています。


 まず、明治天皇陛下は過去3度、函館をご訪問(行幸)されています。一度目は、明治9年(1876年)7月に、旧函館税関(現、海上自衛隊基地隊)から上陸され、函館市内や桔梗、七飯方面を回られた後に、再度函館からご出港され、7月20日に横浜にご到着されました。


 二度目は、明治14年に来道され、小樽からご上陸され、函館からご出港されて東北地方に向かわれました。


 実は、この一度目の「7月20日」という、明治天皇陛下が函館をご出港されて、横浜に御到着された日が、後に「海の記念日」になります。
 そして、これが平成に入ってから「海の日」として国民の祝日になり、現在は、祝日法の改正によって第3月曜日にされた訳です。
 ちなみに、「海の日」を国民の祝日にしているのは、世界の国々の中でも日本だけだそうです。


 そして、その「明治天皇御上陸記念碑」は、函館西部地区のベイエリアにあります。
 その場所は、ちょうど「元町公園」から下りてくる、「基坂」の下にあたり、元町公園からは「ペリー提督来航記念碑」、「宇須岸館跡」を左手に見て下り、市電の線路を越えたところに建立されています。


 この記念碑は大理石製のもので、記念碑最上部には、地球儀の上に青銅製の鳳凰が翼を広げた形で載っています。ただ、残念ながら、この場所の情報はグーグルマップには載っていませんが、分かりやすいので是非訪れてみてください。

 

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明治天皇御上陸記念碑(函館市公式観光情報から)

 
 天皇陛下が外出されることを「行幸(ぎょうこう)」「御幸(みゆき)」と言います。このため、行幸や御幸にちなんだ名称は全国各地にあります。
 その中でも一番有名なのが、実際のお住まいである皇居から東京駅に向かう通りで、この通りを「行幸通り」といいます。


 一方、太后様・皇后様・皇太子様などが外出されることを「行啓(ぎょうけい)」といいますが、この「行啓」にちなんだ地名というのが、国内では案外少ないのです。


 実は、この少ない「行啓通り」という名称が、大正天皇陛下が皇太子時代に北海道を行啓された際にちなんで、北海道の函館市と札幌市の両市にあります。
 函館の場合は、市電が通る五稜郭交差点から五稜郭公園までの間を「行啓通り」といいますが。これは、当時の皇太子殿下の「行啓」にちなんだ名称です。


そして、この「皇太子殿下行啓記念碑」は、元々は、元町にありましたが、現在は移設されて「道立函館美術館」の敷地内にあります。

 

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皇太子殿下行啓記念碑

 この記念碑の場所は、観光名所でもある五稜郭公園の入り口の近くの場所ですが・・、ちょっとわかりづらいかも知れません。


 今回は、函館の「行幸」「行啓」と「海の日」の話題でした。