リピーターのための函館観光(見どころ、知りどころ)

函館ってご存知ですよね・・

・函館の文化のこと(函館人の愛するおひいきグルメ、函館の地元ルール、函館人の気質)

・函館はいつ頃からあったのでしょう?(先住民の時代、箱館の時代、黄金時代、函館の時代)

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函館の春

・函館の文化のこと

 函館人の愛する「地元グルメ」については、色々あります。ラーメンや寿司やカレーなどなど。今も時々、旅先グルメ番組でも取り上げられていますが、実はそれだけではありません。

 最初にラーメンのお話をちょっとしますと、北海道のラーメンは、元々は函館の支那そば」がルーツです。今は、全国何処に行っても、函館は「函館塩ラーメン」ということが定番になっていますが、函館人のラーメンの味の嗜好も時代と共に変化してきました。その流れというのは・・「塩味(支那そば系)」→「醤油味(本州系)」→「味噌(サッポロ系)」→「塩(函館系)」となっていたように思います。(ともかく、筆者はどれを食べても美味かった・・今でも舌が覚えています。)

 次に、お寿司に関してもちょっとだけ・・。少し前まで道産子(函館人)は寿司ネタで「サケ」は食べませんでした。・・驚きましたか?。サケは、アイヌ料理のルイベ(サケを凍らせた刺身)にして食べるのがせいぜいでした。これは、サケには寄生虫がいるためです。なので、お年を召した道産子はこの常識があるため、サケの寿司については、今でもお好みでない方もいます。そして最後に、道産子は「サケ」を決して「シャケ」とは発音しません。鮭はサケです。皆さん、道内では標準語を使ってくださいね。

 次に函館の地元ルールについてですが、観光でレンタカーを借りる方も最近は多いですね。函館のドライバーは、割と運転が荒いのと、路面電車が走っていることもあり、なかなか都会の様なスムーズな運転はできません。また、冬場は「ブラックアイスバーンといった凍結路面もあります。函館の地元にあった運転知識についても今後紹介します。

 最後に函館人の気質ですが、道産子は「おおらかで明るくサバサバしている。細かいことは気にしない」という、北の大地を背景とした牧歌的イメージがあると思います。しかし、函館人に関しては、半分は当たっていますが、半分は違います。これは函館の成り立ちと関係しますが、どちらかと言えば函館人は東北人に近い性格です。そして、唯一、北海道内で「江戸幕府」寄りの気質を持っているのが函館人ではないかと思います。(ちなみに、箱館明治新政府によって「函館」に変更させられました。)函館人には、箱館戦争で負けた旧政府軍への同情と新政府軍への反発も心情的にあるのではないかと思われます。この件についても、これから書きますね。

 このように、切り口を違えるだけで、函館観光も見方が変わってきませんか?これからは、函館観光リピーターさんへの「歴史的切り口」でのお勧めコースも書かせていただきます。

 

・函館はいつ頃からあったのでしょう?(先住民の時代、箱館の時代、黄金時代、函館の時代)

 現在の函館は、主たる産業は「観光」しかない街ですが、実はすごい街なんですよ。函館、いや蝦夷(北海道)自体が先住民のアイヌの土地でした。そして、そのアイヌ蝦夷(人)が、とても輝かしい文化を持っていました。

 それに関連するものとして、函館には北海道で唯一の「国宝」があります。いわゆる中空土偶の「カックウ」です。国宝「カックウ」がある日、函館のジャガイモ畑から出てきたのですから驚きです。これも最近になって分かってきたことですが、縄文時代には南北海道から津軽地方にかけて、素晴らしい縄文文化圏があったようです。すぐお隣の青森県津軽地方には、世界的にも古い土器が発掘された「大平山元(おおだいやまもと)遺跡」もあります。その頃は、津軽海峡を挟んで、どのような人々の暮らしがあったのかも興味をそそります。

 そして、箱館が最も繁栄したのは、明治維新の前10年くらいからと言われています。1859年、横浜、長崎とともに、国際貿易港箱館が開港します。それからの箱館における栄華は素晴らしかったようです。しかし、しばらくすると箱館戦争が始まります。箱館戦争終了後は新政府によって、札幌や旭川などの北海道内陸部の開発が意欲的に進められ、それがまるで「光と影」でもあるかのように、次第に函館は衰退していきます。歴史に「もしも」は無いのですが、明治維新がなかったら箱館は一体どうなっていたのだろうと思います。ここで、気付かれた方もいるかと思いますが、筆者「hakodate1859」は、ここから頂いています。

 函館は、まず飛行機(上空)から見てください。本州の田舎ではあたりまえの「瓦屋根」がありません。「トタン屋根」が多いのは、冬には屋根に積雪を貯めない雪国の知恵でもあります。そして過去の函館での数多くの大火の教訓から、「家にはお金をかけない」という函館人の知恵もあるのかもしれません。雪国ついでに言いますと、函館の家(立派なお屋敷以外)には「塀」や「門」が少ないのです。この理由も大火への備えに加え、雪国特有の雪かき(除雪)の後の雪の処理のためと思われます。

 

 腰のくびれた函館山付近の地形は、アイヌ語で宇須岸(うすけし:アイヌ語で湾の端)と呼ばれていたそうです。この地形のため、函館の街中(まちなか)は津軽海峡から函館湾内へ強風が抜けやすく大火の原因にもなりました。