北海道のボストン・・函館

 何を突然、と思われるでしょうが、実は米国のボストンと北海道の函館は案外似ているのです。

 両市とも古い港街なので、その佇まいや落ち着いた感じも似ていますが、街の成り立ちに関する歴史自体も非常に似ているので紹介します。

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函館レンガ倉庫から見た函館どっく方向にかかる虹

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アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 ボストン

 米国のボストンは、17世紀半ばにイングランドからのメイフラワー号に乗った清教徒の移民によってつくられた街です。そして、当初、彼ら移民はアメリカ先住民とのいざこざや戦争を経て、居留地を確保し、英国の植民地として発展していきました。

 それから数十年後、ボストンは英国からの独立戦争の中心となり、最終的に米国は独立を獲得します。そして、ボストン自体は、国内的にも米国中部や西部開拓への出発点のような役割を続けます。

 その後も、米国への移民は増加していき、ボストンは多民族都市のような景観を呈するような街になりました。

 また、ボストンは昔、陸繋島(トンボロ)のような小さな島の周りを埋め立てして、数倍の大きさまで拡大させています。

 

 一方の箱館ですが、地形的にはボストンと同じ陸繋島です。そして、10世紀ころから蝦夷(北海道渡島)の福山(松前)などに和人が居住し始めます。しかし、蝦夷は長いこと先住民アイヌの土地でした。アイヌとは、アイヌ語で「人間」の意味です。このため、和人との不平等な交易やいざこざを契機として、和人とアイヌによる「コシャマインの戦い」などが起こります。

 そして、今から数百年前の室町時代辺りから箱館辺りに和人が住み始めます。それ以降も和人とアイヌの間で「シャクシャインの戦い」など多くの戦いが起こりますが、箱館は昆布などの特産物の需要のため発展を続け、時代を経るとともにアイヌとの戦いも沈静化していきます。

 そして、1859年箱館は国際貿易港として開港します。それから10余年は、まさに16か国もの領事館が置かれ、「異国情緒」というよりは「他国情緒」溢れる街へと急激な変貌を遂げました。当時の詳しい状況は分からないのですが、入国した外国船の船員も「こんな華やかな港町は他にない」と言ったらしいです。しかし、その後の戊辰戦争箱館戦争)でこの流れが変わることになります。

 戊辰戦争では、蝦夷に渡った旧幕府勢力の榎本武揚らが、1868年に蝦夷の独立を意図した「蝦夷共和国」(あくまで俗称)を建てますが、この統治は翌年までの半年間で終わりを告げました。

 

 このように、ボストンと函館は、発展した地形が陸繋島で似ているとともに、ボストンは北アメリカ大陸の入り口として、函館は北海道の入り口として発展しました。しかし、両市とも、その発展の背景には移民と先住民との争いや哀しい歴史もあったのです。

 北海道民は普段あまり意識していませんが、道産子(北海道の土地っ子)は、そのほとんどが移民の子孫です。ほとんどと言ったのは、先住民のアイヌの子孫もいるからです。

 さて、ここで観光へと話題を変えます。

 ボストンには「フリーダム・トレイル」という観光・教育用のルートがあります。これは、ボストン市内にある米国独立に関する史跡観光名所を結ぶトレイル(遊歩道)で、そのトレイルの道路には赤レンガを配してあり、そのレンガ道を辿って行けば、順にその場所を訪問できるという仕組みです。なかなかスマートで親切なアイデアですよね。

 ここで、筆者の函館観光への勝手なアイデア流用です。ボストンの「フリーダム・トレイル」については「米国の独立と自由」に掛けての名称なので、もし、これを函館で「トレイル」を作ったならばどうなるだろう・・と考えてみました。

 それぞれの函館の観光名所に応じて、「縄文トレイル」「江戸開港トレイル」「明治トレイル」などはどうでしょうか?もちろん、ボストン以上に冬季の函館は雪が多いので、ボストンのように赤レンガでの表示誘導は難しい点もありますが、この3つの「函館観光トレイル」については、(筆者がこれから勝手に考えて)このブログ上で紹介させていただきますね。

 ですので、旅行ガイドブックや観光ガイドにあるような、「場所」や「もの」を効率良く手短に回る観光ではなくて、函館観光トレイルを歩くことによって、当時の時代背景や人々の生活、思いなどを感じられたらいいなと思っています。

 

 それと、最後に函館観光リピーターさんに豆知識

 実は皆さんが利用する函館空港には、1976年に、当時のソ連の最新鋭戦闘機MIG-25が我が国の航空自衛隊の防空網をかいくぐって着陸したことがありました。いわゆる、「ベレンコ中尉亡命事件」といわれるものです。

 MIG-25のようなジェット戦闘機は、着陸スピードも速いため、着陸に必要な滑走距離も旅客機より長いのが特徴です。そのため、ベレンコ中尉の操縦するMIG-25は、函館空港の3000mの滑走路内では止まらず、滑走路を東側に百mほどはみ出して(オーバーラン)してしまい、滑走路外の草わらで停止しました。

 それはそれは、当時は函館市を上げて大変な騒ぎになりました。北海道警察自衛隊も焦ったと思います。

 大体、仮想敵国とされる国の戦闘機が、地方の民間空港に普通に着陸すること自体が前代未聞です。当時は、まだ「危機管理」なんていう概念も普及していませんでしたが、そうやすやすと来られても困りますよね。

 

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函館空港に強行着陸したMIG-25 (函館空港内展示)