函館の水

水元(みずもと)

 函館のどの家庭、どの場所でも楽しめるのが「美味しい水」です。もちろん水道水ですが、これがまた冷たくて絶品です。最近の函館では、夏でも時々エアコンが必要なくらい暑い日もあります。しかし、そんな暑い夏でも、水道の蛇口をひねると「飛び上がるくらい冷たくて美味しい水道水」が楽しめます。

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函館港から見た函館山

 現在の函館の上水道の水源は、五稜郭のさらに北の方(笹流ダム新中野ダム)にありますが、昔は函館市内を流れる「亀田川」(旧:大川)でした。 

 ちなみに、函館の上水道は、1889(明治22)年に横浜に次ぐ、国内第2番目の上水道として開設されています。また、函館では函館山の麓にも多くの住民がいるため、高い場所の住宅への水道供給元としての「元町配水場」があります。ここは、現在も西部地区への配水を担当しています。

 この「元町配水場」は、冬期間を除いて敷地内は一般開放され、春は桜も美しい名所で、「公園」と言っても良いくらい整備された場所ですが、公園ではありません。しかし、そのために実は穴場的存在でもあります。

 元町配水場の場所は、「函館山ロープウェイ山麓駅」そばにありますので、時間的に余裕があれば是非訪れてください。

 ちなみに、ロープウェイが山麓駅を出発して、直ぐ真下に見えるのが「元町配水場」です。美しく整備された場内から見る函館の展望も、また格別です。

 函館では、この「元町配水場」を「水元」(みずもと)と呼んで古くから親しまれている所です。

 開園時間などの詳細は、函館市公式観光情報「元町配水場」で確認してくださいね。

 

五稜郭の濠の水

 明治初期の頃、五稜郭の濠(堀)には亀田川の新鮮な水が流れ込んでいました。

 このため、氷も綺麗であり、これは売れると判断した当時の製氷関係実業家が、五稜郭の濠の氷670トンを切り出し、英米商船を利用して、横浜経由で東京の貯氷庫にから市場に出荷したそうです。

 そして、これが当時の輸入氷(米国ボストンからの氷)に比較して、品質面、価格面でも優れていたため、大好評だったそうです。

 やがて、当時の五稜郭の濠の氷は「函館氷」または「五稜郭氷」として有名になり、函館の特産品のみならず、宮内省御用達にもなったそうです。

 函館人は、現在の五稜郭の濠の水の水質悪化を良く知ってますので、このような話を聞くと大変驚きますが、五稜郭にはこんな時代もあったんですね。

 繰り返しますが、くれぐれも、現在の五稜郭の濠の水は、決して飲める状態ではありませんので・・。

 

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春、桜で素晴らしい五稜郭

鮭が遡上する川

 さて、次に昔の函館の水源だった「亀田川」についてです。

 函館には、現在も市街地の中心を流れる「亀田川」(新川)があります。この川も、昔は随分と氾濫した歴史があります。

 このため、氾濫を抑えるために青森県の願乗寺の僧侶、堀川乗経が中心となり、亀田川を白鳥橋辺りから横堀(現在の高砂通りや銀座通り)へ分流させ、願成寺川を作ります。

 その後、願成寺川が出来てから、その分流は川筋を変えて直接函館湾へ注ぐようになりました。しかし、しばらくすると川が運ぶ土砂が函館湾を埋めることや、疫病の原因にもなったりする事態が起きました。

 そして、再度、川筋を変更して大森浜(宇賀浦)へ注ぐようにしたのが現在の新川(亀田川)です。(願成寺川は、その後、埋め立てられて道路になっており、現在はありません。)

 現在では、一時、水質汚染が進んだ「新川」も市民たちの活動により水質改善が進んで、なんと「鮭」の遡上も見られるようになりました。運が良ければ、10月初めくらいから、鮭が新川を遡上する姿が見られるかもしれませんね。

 

 また、観光客でにぎわう湯の川温泉の近くには、「湯の川」や「松倉川」もあります。「湯の川」は市電の「湯の川電停」(電停:路面電車の停留所)の近く、湯倉神社の横を通って、最終的には「松倉川」に合流します。

 

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湯倉神社境内の「なでうさぎ」(自分の体の悪い所を撫でると治るとか)

 

 観光客で賑わう湯の川温泉や、「函館市熱帯植物園」の横を流れる「松倉川」も、実は鮭が遡上するんです

 これは、函館市民でも知らない人が多いと思います。

 一般的に、鮭が産卵するため川を遡上する地域は、寒い地方に限られますが、本州の日本海側ですと北陸地方あたりまでは普通にあることです。したがって、水質が良ければ函館市内の川を遡上しても、何ら不思議ではありません。

 今後は、「新川」や「松倉川」に「鮭の遡上の群れを呼び戻そう」・・という運動もあったらいいですね。

 

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松倉川河口で鮭の「ほっちゃれ」をつつくカラス

 鮭の「ほっちゃれ」とは、北海道弁です。これは、北海道で産卵のため川を遡上してきた鮭が産卵を終え、痩せた鮭を言います。

 ここで捕捉しますと、私達の食卓に上がる鮭は、外洋で回遊している鮭を漁で獲ったものがほとんどです。

 

最後に函館観光リピーターさんに豆知識

 ここで、函館市民と、同じ道内の札幌や旭川市民とのバックボーンの違いについてお話しします。


 最近、札幌は夜景の景観の美しさでも函館を抜きました。函館市民はガッカリです。

 そして、札幌は北海道の中心として(道都)としての発展を続けています。旭川や小樽も、そこそこ維持発展を続けています。しかし、その中で「ぽつん」と函館だけがその発展から取り残されたような印象もあります。


 また、他地域の道産子などは、「函館は北海道じゃない。東北だ。」と言う人もいます。
 これは歴史上そのとおりで、函館は住民の多くの祖先が、青森、秋田、岩手、山形、新潟あたりからの派遣者(武士)や移住者(商人等)が多かったためです。実際、函館弁は北海道弁の中でも浜言葉の訛りが強く、やはり東北寄りの傾向を現在でも色濃く残しています。
 明治維新以降、新政府は札幌旭川などの開発へ力を入れ、内地(本州)からの入植者を強力に誘致し、開発を促進させました。これは、函館とは背景が全く異なります。
 
 一方、函館市民には「言葉にならない札幌や旭川への違和感」があります。
 それは、函館(箱館)が旧幕府直轄の領地だったからです。すなわち、箱館は元々は、明治新政府の土地ではありません。

 そして、過去、まさに箱館の黄金期の真最中に戊辰戦争が起きてしまった。これは、当時の箱館の住民からすれば「迷惑」以外の何物でもなかったでしょう。

 また、どちらかと言えば、奥羽越列藩同盟の流れをくむ、その子孫が多いこともあり、箱館戦争当時、住民達は榎本武揚らが唱える「蝦夷共和国」に、一縷の望みを託したのかもしれません。
 したがって、函館市民には自らは気付かない旧幕府側、奥羽越列藩同盟の血が新政府の政策を嫌うという、無意識のバックボーンがあるのではないかとも考えます。
 もちろん、函館市民が、札幌市民や旭川市民を嫌っている訳ではありません。市民の多くが札幌や旭川に親戚を持っています。筆者も親戚がいます。

 過去、江戸幕府直轄領だったという歴史もあるため、箱館」は「函館」にされ、開発政策上、函館(箱館)は置いて行かれたのかもしれませんね。

 ただ、函館は大正時代頃までは北海道で唯一の人気の大都市でもあったので、それなりの繁栄を続けて行きました。