箱館(函館)の不思議

 今日は、歴史上の少々残酷なお話がありますので、気の弱い方は遠慮されて下さい。

 暗く、悲しい話です。

戊辰戦争での2つの非情

 戊辰戦争とは、江戸時代から明治時代に至る上での、旧江戸幕府側の武士と新政府側の兵士との戦いのことです。

 その戦いは2年の長きにおよび、最終的に箱館戦争五稜郭の戦い)で終結しました。

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春の五稜郭公園


 そして、この戊辰戦争の中でも、日本の武士として非道とされる行為がありました。
 そのひとつは、東北地方で、新政府軍と会津藩との戦いが終わり、会津藩が敗北した後起こりました。
 それは、会津藩士の遺体の埋葬を禁じた「埋葬禁止」でした。すなわち、秋口の戦いで死亡した会津藩士の野ざらしの遺体が、そのまま埋葬されず、冬を越え、腐って朽ちるに任せたのです。

 約1000体を越えるむごたらしい遺体がそのままで、放置され続けたようです。
 会津藩士の親戚は、目の前に身内の遺体があっても、手も出せず、埋葬することすら許されなかった。
 これ以上の残忍かつ非情な仕打ちはないでしょう。これは、日本武士道における許されざる汚点と考えます。
 「敵に塩を送る」「弱きを助け、強きをくじく」・・そのような、武士道と呼ばれる崇高な武士の精神文化は、ここには微塵さえも見当たりません。
 一体、新政府軍は何を考え、何を兵士に教えたのでしょう。
 ただ、この事実に関しては、最近の歴史資料である程度修正されてきてはいます。

 しかし、当時の会津藩であった現在の福島県民と、薩摩・長州藩であった鹿児島県、山口県の怨恨の溝は、150年経った今も埋まってはいません。

箱館(函館)の不思議

 実は、これと同じ残忍な出来事が、ここ箱館でも起きていたのです。

 そして、この事実を知る函館人も少ないのが現実です。


 激戦だった箱館戦争の後、旧幕府軍の武士の遺体、約800体が箱館管区内に野ざらしにされました。そして、これらの遺体も、会津の場合と同じ「埋葬禁止」のため、当時の箱館住民は触ることさえ許されませんでした。


 箱館戦争開戦前の箱館は、戊辰戦争さえなければ、国際貿易港として順調に各種貿易事業などが回っていたはずです。

 それが、戊辰戦争が起こり、箱館の治安は急に悪化し、政情不安も加速していきました。
 一番迷惑なのは、当の箱館住民だったことでしょう。

 

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土方歳三地碑

 そして、戦争が終わっても、復興もできないような死体の山がそのままです。


 当時の箱館の人口は、約1万数千人であったので、市中に約800の遺体が放置されたままという事態は異様としか言いようがありません。

 そして、当時は10数か国の領事館も箱館にありました。彼らの目には、我が国の、この非情で残忍な光景はどのように映ったのでしょうか。


 しかし、それを放置できず、動いた勇気ある男がいました。(パチパチ!)
 侠客の柳川熊吉でした。熊吉は実行寺住職らの協力を得て、打ち首を覚悟しながらも、町中に放置されている遺体を回収します。

 

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侠客 柳川熊吉氏


 その後、旧幕府軍の武士を慰霊されるため建てられたのが、「義に殉じた武士の血は三年たつと碧色になる」。中国の故事」による碧血碑です。
 そして、柳川熊吉が88歳の米寿を迎えた1913(大正2)年、有志らによって彼の功績をたたえる碑が、碧血碑のそばに建立されました。

 これは現在も残っています。恥知らずな新政府軍の兵士よりは、よほど侍らしい侠客です。

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碧血碑(立待岬近く)

 

 しかし、ここで不思議なのが、会津藩で起こったような新政府軍に対する「怨恨」の感情が、ここ箱館では全く、若しくは、ほとんど起こっていないということです。
 これは、不思議なことだと思いませんか。


 調べました。その理由として、当時の箱館には、幕府の直轄領として警備していた各藩の武士が残っていませんでした。したがって、新政府軍と戦ったのは江戸から榎本武揚らと逃避してきた、新選組や元幕臣らがほとんどだったためと思われます。
 会津では身内の悲劇であったのが、箱館の場合、五稜郭戦争で命を落とした武士達も箱館住民からすれば「赤の他人」だったからと思われます。
 

勝てば官軍、負ければ賊軍

 函館には、函館山ロープウェイ山麓駅の近くに「護国神社」があります。これは昔、「招魂社」といわれていました。
 この「招魂社」という名称や趣旨は、東京の「靖国神社」とも共通で、幕末から「国のために殉死した軍人」などが祭られています。
 この「国のため」とは、戊辰戦争では新政府軍の戦死者のみを指します。
したがって、箱館戦争の「土方歳三」や新選組等の旧幕府軍、さらには、最終的に新政府に反旗を上げた西郷隆盛」も「賊軍」として祭られてはいないのが事実です。

 

 「碧血碑」は、冬場は立ち入りが難しい、立待岬近くの函館山山麓にあります。

 旧幕府軍の武士も、国を思って戦っていたことと思います。

 春先からは参拝できますので、是非、お立ち寄り下さい。

 横には、柳川熊吉の碑もあります。 合掌

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函館山ロープウェイ