函館高龍寺の悲劇

 先日のブログでは、「函館(箱館)の不思議」中で戊辰戦争での2つの非情」について、戊辰戦争後の旧幕府軍武士の戦死遺体に関する「埋葬禁止」について述べました。

 今回は、函館市電「函館どっく前」電停から、坂を上ること10数分の場所にある「高龍寺(こうりゅうじ)」の出来事について述べます。

 これも、戊辰戦争中に高龍寺(こうりゅうじ)で新政府軍の行った、非道と言える出来事です。

高龍寺の悲劇

 5月11日の新政府軍による箱館総攻撃の日、函館山山麓にある高龍寺では、旧幕府脱走軍の箱館病院の分院として、負傷者を受け入れて手当てを行っていました。

 そして、当日、高龍寺のその場所に新政府軍の兵士が乱入してきました。彼らは、旧幕府軍の10数名の負傷者を斬殺するとともに、火を放って殺害したのです。

 ここでの多くの被害者は、やはり会津藩士たちでした。

f:id:hakodate1859:20190121221930j:plain

「高龍寺山門」から覗く「函館湾」

 そもそも、負傷している「敵方の武士」にしろ、新政府軍が「武士道」に沿う行動をしていたならば、そのような非道は起こりえなかったはずです。

 負傷者を斬殺し、火を放って焼き殺すなど言語道断の仕打ちです。

 現代においても、赤十字等の標識を掲げた場所、船舶、車両などは、「ジュネーブ条約」等により攻撃してはならず、国際的に保護されるようになっています。

 まさに、「武士道の国、日本」における、新政府軍の高龍寺での行為は、恥ずべき非道です。新政府軍の兵士は、「兵士であり、武士ではない」などという屁理屈は、我が国では理由になりません。

 戊辰戦争後の新政府軍の、会津箱館での「埋葬禁止」を考えても、新政府軍は実に情けないモラルの軍だったとしか思えないのは、筆者だけでしょうか。

 あの戊辰戦争での、奥羽越列藩同盟の戦いの辛さや様々な悲劇を考えると、余計、筆者は新政府軍が憎らしくも思えてきます。この話は、ここまでにします。  合掌

 

大火の類焼防止

 

 さて、他にも、ここ高龍寺は函館の大火で何度も消失しています。今でも、函館の寺院の中では最古ですが、山門の横を見ていただければわかりますが、立派な「大火除けのレンガ壁」が続いています。

 まさに、大火などの火事から寺を守るための防火のためのレンガ壁です。

 それほど、函館の「大火」は強力で、恐怖でもあったのです。 

f:id:hakodate1859:20190121211609j:plain

高龍寺の防火レンガ壁

f:id:hakodate1859:20190121211709j:plain

同じく北側の某かレンガ壁

 当時は、レンガも入手が難しかったと思うのですが、やはり、国際貿易港としての箱館は物流も良かったのでしょうか。

 高龍寺の中には、斬殺の慰霊碑として傷心惨目 [しょうしんざんもく] の碑も、後年元会津藩士らによって建立されました

 今回は、ここまでにしますが・・箱館(函館)は大火でも多くの人命を失い、戦争、事故、事件でも多くの方が亡くなっています。

 それでも、函館人はたくましく生きてきました。函館人!頑張れ!!