風の街、函館

 函館の街を、市電や路線バスで観光すると、函館の中心部から西部地区にかけて、街の中に「幅数十メートルの草木のみしか植えられていない一帯」が所々にあります。

 下の画像のうようですが、お気づきでしょうか?
 良~く注意しているとわかりますよ。

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雪に覆われる「グリーンベルト」

グリーンベルト

 これは、別に函館の観光地でも何でもないのですが、函館人にとってはとても大切なものです。

 ちなみに、これは昔から函館では「グリーンベルト」と呼ばれている「緑地帯」です。
 この「グリーンベルト」は「緩衝地帯」であるために、基本的には建築物は何もありません。
 何故でしょう?これからその説明をします。

 

 函館は、その地形上の特徴から風の強い所です。
 これは、函館の地方気象台のH/Pにもありますが、函館がある渡島地方は「低気圧や台風を伴う強風が吹きやすく、暖候期は東からの風が、寒候期は北西から南西の風が強く吹く」とあります。


 要するに、函館は年中を通じて「風の街」なのです。


 そして、この「風」が曲者で、悪さをしてきました。
 さらに加えて、寒冷地である函館では、秋口の10月から春先の5月までは暖房が手放せません。

 すなわち、各家庭などでは1年の3分の2の期間の生活がストーブなどの暖房と共にあるのです。
 このため、函館は歴史上、火事が出た場合、土地柄ともいえる強風にあおられ、瞬く間に大火事になってしまって手が付けられない事態になってしまう、ということが多々ありました。
 これが、いわゆる歴史上の「大規模火災」、「函館の大火」です。


 実際、歴史上の記録に残っているだけでも、通算すると約30件の大火で、5万3千戸が焼失しています。

 人口が今よりずっと少ない時代にしては、驚くべき数字です。


 函館の昔の住民は、家が大火(火事)で焼けてしまったら、また頑張って建てる。また大火で焼ける・・その繰り返しだったのかも知れません。
 辛かったと思います。

 そして、その「大火」による類焼の被害拡大を局限するための都市計画としての措置が、前述の「グリーンベルト」です。

 

 この「グリーンベルト」は、函館山の麓から市内を真っ二つに分けるように走る「さかえ通り」と、それを横切るように、多くの「○○広路」が存在します。
 「さかえ通り」は、函館山の麓の「護国神社」から坂を下りて、「高田屋嘉兵衛像」を通り、市役所へ向かいます。それから、さらに伸びて亀田川まで延々と伸びていきます。
 「さかえ通り」を横切る形の「広路」の数は10余りもあります。

 余程大火の類焼を避けたかったのでしょう。

 昔の函館人の苦心の跡がうかがえます。

 

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函館港まつりの花火

「函館大火」と「港まつり」

 さて、夏の暑い時期の港まつりは、明るく楽しい函館の真夏の風物詩です。
 函館湾の夜空に、華麗に、そして大迫力で上がる花火も見ものですね。


 さらに、「ワッショイ函館」の電車通りを練り歩く市民参加の踊りも、最高に盛り上がります。見ている方も心ならず体が動いてしまう・・そんな雰囲気が「函館港まつり」です。

 

 実は、この「函館港まつり」も、その起源は遡れば実は昭和9年の大火とは無縁ではありません
 その昭和9年の大火では、約2万戸の家屋が焼失し、約2千人の犠牲者も出るという大惨事でした。さらに、その惨事が後を大きく引きます。


 そして、その翌年の函館。
 「このままでは函館が立ち直れない」と判断して、市民の心を更に盛り上げようということで、開港記念日」を制定する案が浮上します。
 これに合わせて祭りを盛大に行い、市民の慰安と気分一新を図ろうと、当時の市長が筆頭となり第1回函館港祭りが開催されたのが、現在の「港まつり」の起源です。


 「箱館の開港時代を偲び」「函館大火の犠牲者を悼み」「さらなる元気な函館を!」ということが港まつりの願いです。


 もし、港まつりに参加する機会がありましたら、大いに楽しんでください。そして、これからの函館を大いに祝ってください。
 最近の「優雅な港まつりの花火の鑑賞方法」は、温泉に入りつつ眺めることでしょうか・・?
 もちろん、花火を函館山の上から見下ろしたり、レンガ倉庫間近の岸壁から仰いでみるのも、五臓六腑に染みるくらいの大迫力ですよ。
 楽しんでくださいね!