中高年には仕事が無い
現在、函館市の産業などの中心は内陸の方(函館山の反対方向)で、そこには活気があり、若い勤労世代の方が多いのが実情です。
他方、観光で賑わっている西部地区には、年金暮らしのお年寄り達が細々と暮らしているのも現実です。
極端な話、「弁天方面」や「谷地頭方面」に観光客が訪れても、表通りから一歩路地裏に入ると、・・そこは『ゴースト・タウン』の様な雰囲気です。
すなわち、どんなに函館市西部地区に観光客が増えようが、それら西部地区のお年寄り達には、何の関係もなく、生活が豊かになる訳でも無いのです。
私には、これがどうも残念でなりません。
これは、将来的に仮に「住吉地区に縄文遺跡観光施設」ができたとしても同じことでしょう。
もちろん、「おいおい、わしは、もう働きたくないわ」という方も多いとは思いますが、「いやいや、まだまだ働きたい」という方もいると思います。
実際、函館市内でも郷土史を更に勉強したり、色々なボランティアに参加している元気な中高年の方がいらっしゃいます。
そのような方を、観光に活用できる方法は無いものでしょうか・・?
ということで、本当に差し出がましいこととは思いますが、以下、勝手な私見を述べさせていただきます。
観光施設を整備して入場料をとろう!
上の写真は、函館市立博物館です。
ここには、国指定重要文化財「北海道志海苔中世遺構出土銭」を含む考古資料やアイヌ風俗画、ペリー来航、箱館戦争、函館大火などに関する歴史資料が陳列されています。
また、函館の民俗資料なども収蔵・展示されています。
そして、現在の博物館の横には、昔の「旧博物館1号」「旧博物館2号」の建物も保存されています。
驚きの入館料
ただ、入場料が激安すぎて、驚きました!
下が、その入場券です。
大人1人 100円です。(100円で、No100ですが、プレミアムが付くということもありません・・冗談ですいません)
それにしても、安すぎると思いませんか?
私も昔、博物館や展示館の企画を若干かじったことがありますが、博物館などの魅力は、「常設展」と「特別展」、それと「収蔵物の豊富さ」にあります。
そして、それらの魅力を更に引き出すのが、博物館を管理支援する「学芸員」といわれる人たちの知識と研究者の層の厚さです。
この総合力が、博物館の実力となり、「魅力的な特別展示」を定期的に開催することによって、リピーターも確保できるという仕組みです。
この点、函館市立博物館は、展示も貧弱で・・「一応あります」のような感じです。
もう少し、何とかできないでしょうか・・?
「旧博物館1号」「旧博物館2号」や、博物館本館も中高年ボランティアを活用して、整備し、いつでも開放して管理するという代わりに、その分入場料も値上げするというのはどうでしょう?
入場料の相場というのもあるとは思いますが、国際観光都市の博物館にしては、いささかお粗末な状態だと思います。
函館市立博物館についても、「函館市がこれから、ユネスコ文化遺産都市としての博物館の歴史を新たに作って行く」くらいの意気込みも欲しいものです。
函館市の財政が厳しいのは分かります。しかし、観光資産にほとんど投資せずに、「そこにあるものだけ」を観光してもらうというのは、僻地の観光手法です。
博物館のみならず、現在無料の元町配水場だって観光資産価値は十分あるのですから、入場料を取りましょう。もちろん、その場合の「チケット切り」は、地元の中高年でお願いします。
リーズナブルな入場料を取れるように、観光施設を手直しして整備し、そこで地元の中高年に働いてもらう。
これこそが、国際観光文化都市として、函館市が未来にも存在できる道かなと思いますが・・如何でしょう?
世界文化遺産への登録・・?
色々な評価要素があると思いますが、「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコ世界文化遺産に登録されるかどうか・・私は心から期待しています。
そして、函館市も「総合的な観光文化都市」として評価されることは、まさに函館市が保有する観光・文化資産を「将来的にどのように管理発展させていくのか」についても問われているのだと思います。
『棚から牡丹餅』を座して待っているようでは、厳しいと思います。
観光文化資産をしっかり管理し、そこに市民も参加してもらうというのは、一つの新しい方向性ではないでしょうか?
函館市は、今後とも市民皆で、しっかり稼ぎましょう。
西部地区の中高年の方も、観光文化事業に参加してもらいましょう。
一つの歴史が終わった
さて話は、ガラッと変わります。
2019年1月31日 函館駅前にあった「棒二森屋デパート」が閉店しました。
老舗だっただけに、閉店の一抹の寂しさは、市民ならば誰しも感じています。
昔は、食堂や子供遊園地もあった立派なデパートです。確かデパートの壁は「大理石」で出来ていて、大層立派であったような気がします。
そして、昔の冬場は、女性が履く「雪下駄」(下駄にスパイク状の金具がついたもの)でも滑らないよう、階段を「板張り」にしていたように記憶します。
さらに、そこの階段の踊り場で、私は初めて「痰ツボ」なるものを見た記憶があります。(おえっ!)
でも昔は、日本全体がそんなんだったんですよ~。
現在では、どこででも痰を吐く中国人のマナーが悪いとか、色々批判する方がいますが、我が国だって昔はそうだったんです。
さて、その懐かしい「棒二森屋デパート」「丸井今井デパート」や「ホリタ」の思い出のものを、函館市立博物館の展示品の中に発見しました。
目で懐かしんでください・・。