最近、やっと「北海道アイヌ文化保護」の大きな流れが出てきています。しかし、これも若干遅すぎた感は否めません。
函館も、ずいぶん昔はアイヌ民族が住んでいたのですが、アイヌ民族も次第に追いやられ、現在では道央付近に文化保護(保存)という形で若干残っているだけです。
なぜ、私がアイヌ文化にこだわるかというと・・
アイヌ民族が北海道の先住民ということのみならず、函館市などが世界文化遺産として推進している「北海道・北東北の縄文遺跡群」にアイヌ民族が大きくかかわっているからです。
この事実を、函館市民や北海道民自体があまり知らないということ自体が、とても残念です。
実は、私の趣味が考古学ということもあり、少し昔に、「あの有名な青森県の三内丸山縄文遺跡を築いたのは、『縄文人(和人)』なのか『アイヌ人』なのか・・」という疑問を抱きました。
我が国のDNA分布による民族的流れや、文化の流れなど色々調べたのですが、結局、結論は出ず・・
「縄文人でもアイヌ人でもどちらでも構わないし、それほど昔は部族的(民族的)に区別がなかったのではないか」と、いう結論に達しました。
実際、「アイヌ文様」と「縄文文様」は極めて似ており、ほとんど同じ物といっても差し支えないと、私は思います。
ですので、これは現在、東北に代々住んでいる人たちにもアイヌの血が流れている可能性が(私も含めて)高いですし、東北地方にもアイヌ語の地名が事実、数多くあります。
次のこだわりですが・・アイヌ文化は文字を持たない文化なのです。
したがって、何らかの保護的活動や保存事業を行わない限り、アイヌ文化は将来的に消滅してしまいます。これは、本当に避けられない事実です。
私の過去のブログ『函館は、北海道のボストン』では、北海道が函館を起点として開拓されていったことについて、米国のボストンと対比させて述べたブログです。
一方で、ボストンから始まった米国が、次々と先住民のネイティブ・アメリカンを殺害して、領地を拡大していったことと、蝦夷地で和人がアイヌ人の領地を奪っていった歴史を重ね合わせたという、悲しい歴史の相似形についても、遠回しに述べたものでした。
そのネイティブ・アメリカンとアイヌ民族両先住民の共通点も、実は「文字を持たない」ということです。
今更とは思いますが、アイヌ民族の文化を保護し、保存することは可及的速やかに必要なことなのです。
「アイヌ民族への差別」などは論外で、「北海道の先住民族の文化を尊重し保護」することが、今、北海道民や函館市民に求められていることです。
函館市が、大々的に「アイヌ文化を尊重し、研究し、保護・保存」することに乗り出すこと自体も、世界文化遺産登録への強い後ろ盾になることは疑いありません。
過去の「良いところ」だけをアッピールするのではなく、その文化が「今、どのように生きていて、それをどのように未来への遺産として残すのか」という、『姿勢や意気込みも評価されている』と思います。
アイヌ文様を市全体で利活用したり、アイヌ文化研究者の講演・講座を開くところあたりから、着手しては如何でしょうか?
最後に、随分と函館観光とは違うことを述べましたが、函館市も元々はアイヌ民族の土地です。
観光客の皆さんが「函館市北方民族資料館」や「函館市立博物館」に行かれた際には、そのような先住民族への尊敬の気持ちも持ちつつ、展示をご覧いただければ幸いです。
今回は、少し難しい内容でした。読んで下さり、本当にありがとうございました。