函館の景観は、埋め立てと運河の賜物

 早いもので、2019年も、大晦日を迎えました。

 さて、来年は、いよいよ東京オリンピックの年ですね~。

 さらに、その東京オリンピック』では、札幌がマラソンの開催地となり、東京以外では、唯一遠地での開催地となります。

 これで、札幌にも大勢の方が来ることが予想されますし、中には「ついでに、函館も寄ってみようか・・」という、奇特な方もいることと思います。

 是非、そう願いたいものです。

 

 さて、今回は、『函館の景観は、埋め立てと運河の賜物』ということを書かせてもらいます。

 函館への観光客の方で、西部地区のベイエリアを訪れない方は、まずいないと思います。それほど、ベイエリアの風情は異国情緒にあふれ、最も函館らしい趣があります。

 もちろん、あの『グラマラス』にくびれた、函館山からの光の芸術のような夜景も素晴らしいですね。

 

 しかし、この函館を代表する、ベイエリア函館山からの夜景も・・埋め立てと、運河が無ければ・・現在では、見られなかったものなんです。

 驚きました・・?

 では、これからそれらについて説明いたしますね。

 

f:id:hakodate1859:20191231160109j:plain

函館レンガ倉庫群の運河(「はこぶら」から)

f:id:hakodate1859:20190101100741j:plain

函館山からの夜景(「はこぶら」から)

 ちなみに、上の夜景の写真で、もし過去の『埋め立て』が無ければ、「函館のくびれ」は約3分の2程度になってしまい・・、そのままで、仮に夜景があるとすれば、「か弱い」「寂しい」印象になってしまいますね。

 そして、その埋め立て地というのが、場所的には函館駅から十字街の函館湾側の、いわゆる「ベイエリア」全部になります。

 函館の町名で言えば、大手町から豊川町です。

 

 また、湾内の埋め立てを行った、当時の箱館の商人たち、そして、箱館そのものにも財力があり、このような大規模な埋め立て工事が可能だったということが、歴史上の事実です。

 では次に、その埋め立て地を縫うような形で発達した運河は、どのようなものだったのでしょうか・・?

 

 卑近な例ですが・・ちなみに、その一つは、現在の箱館駅前から、「朝市」を抜け「BAY HAKODATE」の前を走る道路になってしまっています。

 では、その証拠として、当時の古地図を2点ほどお見せします。

 街(砂州)を縦断する「亀田川」と、その先の「運河」を見ることができます。

 

f:id:hakodate1859:20191231161703j:plain

箱館湾の地図(「はこぶら」から)

f:id:hakodate1859:20191231161814j:plain

箱館戦争当時の古地図(「はこぶら」から)

 

 したがって、観光客の皆さんがよく目にする、一番上の運河の写真ですが、あの運河は・・実は、奥までずっと切り込んで掘られていた可能性も大いに考えられます。

 また、埋め立て地のベイエリアの中にある、現在の「太い道路」の多くが、元々は運河だったということも、ご理解いただけたかと思います。

 

 さて、如何でしたか・・?『函館の景観は、埋め立てと運河の賜物』という、お話、理解していただけましたか?

 

 運河では、同じ北海道の小樽が有名ですね。

 しかし、それらの箱館の運河がなぜ廃れてしまったかというと・・、過去、コレラなどの疫病が発生し、箱館の中心を流れる亀田川の川筋を変える必要があったり、陸上交通の発達などがあったためのようです。

 皆さんも、ベイエリア観光で、道を歩く際には、『この道は、昔は運河だったかも‥?』なんて思うのも、結構、別の次元での観光を楽しめる要素だと思いませんか?

 そこで、私の稚拙なアイデアで恐縮ですが・・『昔の箱館の『運河』だった道路を、青や灰色で塗ってしまう』のも、観光施策上の一案だとは思うのですが・・、如何でしょう?

 

 さて、私の拙いブログも、本日で『満1歳』です。お読みいただき、ありがとうございます。

 コメントやお言葉等ありましたら、よろしくお願いします。